結婚って?の火曜日

「結婚って何?」


嫁はそうつぶやくと、大粒の涙をボロボロとこぼし始めた。


事の発端は、仕事に対する考え方の違いからだった。
次の仕事をどうしようかなという雑談の中で、自分的にはとりあえず今までの経験がいかせつつ新しい業務に取り組んで、そこでも肌に合わなければまた転職すればいいや位の気持ちで考えていた。
それは、今の病状をふまえた上で、リハビリも兼ねてという意味で。
けれども、嫁はその意見に懐疑的な素振りを見せる。
そんなに何度も転職するような仕事を選ぶようでは、将来的にもの凄く不安が残ると。


確かに自分は今までに一度転職し、今は無職の状態である。
無職と言っても、傷病手当が支給されることを前提として、職を離れ治療に専念している状態である。
なので、転職または退職により収入がなくり、家庭に貧困を強いたことはない。


しかし、嫁が言わんとしていることはそうでは無かった。
結婚してからの生活というと、嫁はパートをし自分は普通に仕事をし、しばらくはそれなりの収入を得て生活していた。
が、自分が鬱病を発症してからというもの、それらの収入はほぼ消費されてしまい、将来のための貯蓄が全く出来ていない状態となっている。
その消費の原因として、自分の趣味・娯楽に大半が費やされてしまっているという意見であった。
趣味のバイクに興じ、欲しいなと思った物の大半は手に入れている。
それは、嫁が自分の病状に配慮し、少しでも早く病気が治って欲しいという願いも込めて容認してくれていたのだ。
その裏で嫁は、自分の欲しい物は極力我慢していた。
欲しいアクセサリーや洋服、化粧品なども、少しは家の為にお金を貯めないとという思いから、グッと我慢してきたと言う。


そこで、冒頭の一言。


嫁が想う「結婚する」とは、夫がしっかりと生計を立て、家庭という基盤を築いていくものでは無いのかと言う。
しかし今の自分には、その「結婚」を意識した家庭を引っ張っていく姿勢が全く感じられないと言う。
先の転職に対する軽率な考えもその理由の一つであると。
これではまるで、一人暮らししている自分の家に同棲しているだけではないか、または一人暮らしするのが面倒で、炊事洗濯だけでも面倒を見て貰う為に結婚したのではないかとまで言われてしまった。


もう自分には返す言葉が無い。
確かに鬱病を発症してからというもの、自分の事だけで精一杯になってしまっていた。
いかに病気を治していこうかと、気分転換になるような目先の物ばかりにとらわれていた。
鬱病発症当初は、何もやる気が起こらず、あらゆる欲求が抑制されていた病状も、回復基調になるにつれ物欲や食欲も出るようになってきた。
その欲求の回復に喜び、金銭的な出費を伴う結果となってしまっても、その出費を将来の「家庭」の為に有効に貯蓄しなくてはならないという思考、夫としての役割を完全に見失っていたのだ。
嫁がいかに欲しい物を我慢しているかなんて、これっぽっちも気づいてやる事も出来ずに・・・。


「もっと家庭の事を考え、今後の生活をリードして欲しいの。」
「友人の家族みたいに、夫の仕事の帰りを料理を作って待っているような、そんな生活がしたいだけなの。」


本当に自分が情けなくなった。
「ごめんね」とか「辛い思いをさせて悪かったね」とか、そんな陳腐な台詞しか出てこない。
出てくるのは、こんな矮小な自分の目から溢れる涙だけだった・・・。



もうすぐ結婚生活2年目にさしかかるというこの段階で、今更ながらに気がついた「家庭」という名の重圧。
そして、今後真っ当に仕事ができるだろうかという不安感。
普通に仕事をして家庭を持っている人からみれば、些細な事かもしれないが、今自分はその些細な問題に押しつぶされそうである。


鬱病が本当に酷いとき、心の支えになったのは嫁の存在だった。
嫁の為にも、早く病気を治して社会復帰したいという想いから、何とかここまで来られたと想っている。
そんな嫁に愛想をつかれ、自分から離れてしまう様な事になることだけは避けたい。
生きる糧を失う訳にはいかないのである。


この先どうなってしまうのだろう・・・・。