「デリカシー」を考える水曜日

晴れ。
いつも通り出勤。


会社での喫煙室
仕事の手を休め、みんなで談話する一時の事である。
あるリーダークラスの上司が、次期稼働するプロジェクトについて語り合っていた。
そのプロジェクトは、今まで会社がやったことの無いようなゲーム関係の仕事だったのだが、談話の内容は誰をそのプロジェクトに参加させるかということであった。


上司A:「今度のプロジェクト、新人2人を投入しようと思うんだけど」
上司B:「お客さんには承知してあるんですか?」
上司A:「えぇ。一応つたえておきます。ただ、仕事きつくなりそうですね」
上司B:「まぁ、厳しく教育するつもりで、やらせればいいんじゃないですか?」

上司A:「そうですね。もう、厳しく、鬱になるまで厳しくね!」

周り :「あはははは〜」


その場にいた自分は、その瞬間何も言えず、何も感じられなかった。
只頭の中が真っ白になってしまい、どんな表情をしていたかも覚えていない。
少なくともその上司Aは、自分が鬱病で休んでいた事は知っているはずだ。
その会話の場に自分がいることを意識していたかどうかは定かではない。
だが、事実自分はその場にいて、自分が苦しんでいる病を冗談交じりに見下した様な言い方でけなしていたのだ。


何も言わず、喫煙室を出る。
仕事が手に付かない。
不思議と、上司Aに対しては怒りを感じない。
感じるのは、途方もないやるせなさと孤独感。
自分は鬱病になるまで会社にこき使われていた、たった一つの歯車だったのか。
そう認識させられる出来事だった。


でも、みんな働いている。
大人はみんな働いてお金を稼いで生活をしている。
だから、自分も働く。
自分も働いて、自分の生活をしなくちゃならない。


これからずっとはたらくのかなぁ・・・